すべての非モテHackをする!
非モテハッカー1号のりょうた塾長だ。
前回自己肯定感とは自分をありのまま認める感覚であるとお話ししました。ありのままとは、他者の評価や能力によらず自分が認めた価値でということ。
ここに、他者の評価による挫折がより他者からの評価に執着させる、つまり自己肯定感を低下させる要因になるのではないかと考えました。
今回はこの挫折について考えていきたいと思います。
陽キャと陰キャ
陰キャ・陽キャとは、陰気なキャラ・陽気なキャラの略称です。これは、性格的に暗い・明るいというよりはむしろ「イケてない人・イケてる人」の意味で使われています。昔はやった言葉で「ネクラ・ネアカ」というものがありましたが、用法的に似ていると思われます。
陰キャはどちらかと言えば非リア充でオタク、コミュニケーション能力が低めな人を指し、陽キャはリア充でいろんな人と遊ぶパリピでコミュニケーション能力が高めな人を指しています。基本的に陰キャ・陽キャともに蔑称的に使われることが多いのですが、Twitterでは「陰キャ」の使用が目立ちます。また、非リア充であることを示すためか、ユーザー名に自ら「陰キャ」とつけている人も見受けられます。
ねとらぼアンサー
class="komozi">さまから引用






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運動できる=陽キャグループのもたらすもの
中学のころにいわゆる陽キャグループにいた生徒って運動部、特に球技系部活の生徒が多いと思います。
日本の中学男子におけるスクールカーストだって、トップはサッカー部、バスケ部、野球部でしょう。
その近くにマイナー系運動部員が入って、帰宅部は大体下のほうでしょう。
中学のころからこうやってちやほやされながら育った生徒が、自己肯定感が高い大人に成長します。
ここに自信のあるモテ組と自信のない童貞といった差が出てきます。
学校というものは教育する場所です。
教育するというのは強い大人を育てるということです。
そういった意味では部活を通じて自己肯定感を育てるという教育システムには合理性があります。
運動できない=陰キャグループのもたらすもの。
運動部での成功を通じて成長した人が自己肯定感の高い大人になる反面、
いわゆる陰キャサイドでは全く逆のことがおこりえます。

挫折の経験ですね。
これは少し大げさな言い方ですが、高校くらいに上がると陽キャサイドとの差は歴然に感じられる出来事が起こり始めます。
そう、彼女ができ始めるんです。
高校で彼女ができる人の8割は陽キャだと思います。
(残りは割と変わり者だったり)
これは実際に調査したいところなんですが、高校の頃に彼女がいた男の中学時代の部活なんて、大概サッカー、バスケ、野球でしょう。
そして彼らは恋愛を通じてさらに自己肯定感を高めます。
中学校の頃運動部だった人は自己肯定感が高い大人に成長するといえます。
つまり、自己肯定感の高い低いの差は中学校の頃の部活に関係してくると仮説だてることができます。
羨望のまなざしを受ける運動部生徒を横目でみていた経験が挫折として本人の中に刻みこまれてしまいます。

自分を自分で低いと決めつけること。
自分を認めないということになりますよね。
でも、それって自己責任?
ちやほやされるのは小さいうちから運動部で頑張ってきたんだからであって、
帰宅部に甘んじていた陰キャサイドも甘えてないで運動部に入ればよかったじゃん!
言い訳するなと。
その言い分は分かります。
ですが、中学入学時にすでに運動に苦手意識があったらどうでしょうか?
なかなか運動部という選択肢は取れないでしょう。
それはもっと昔から運動していればそんなことにはならない!
そもそも運動苦手な人っていつから運動苦手だったと思います?
それは運動を始めた瞬間です。
別に屁理屈をこねたいわけではありません。
つまり、運動部か否か問題にはあまり本人の努力は関係ないということです。
少なくとも陽キャ陰キャを分けるレベルの運動能力には努力は関係ありません。
もう少し話を変えましょう。
中学の部活のスポーツって何種目くらいでしょうか?
サッカー、バスケ、野球、陸上、テニス、バレー、剣道、柔道、卓球。
スポーツに力を入れてる学校でなければこれくらいだとおもいます。
何を言いたいかというと、中学の部活の選択肢は少ないんです。
部活に入って陽キャサイドにはいるには、球技のセンスか走力がないと厳しいということ。
ほかの能力を活かすステージってないんですよね。
わたしなんかも、パワーと我慢強さは昔から結構あったとおもいます。
だから高校はラグビーをやれましたが、中学にはありませんでした。
これも正直生まれつきのセンスでできるやつとできないやつで大別されます。
わたしも後者のサイドで、小学校や幼稚園のころは女の子に徒競走で負けて、先生から「恥と思いなさい!」と一喝されたのはいい思い出です。

だから陰キャに籍を置き、自己肯定感の低いまま成人した人は決して努力不足なんかではないんです。
アイデンティティを喪失?
羨望のまなざしを受ける運動部と、蚊帳の外にいる自分を比べ続ける中学時代。
陽キャラたちに彼女ができるのを、傍から見ている高校時代。

一言で言うと憧れ。一つの夢。
これを叶えたという価値は計り知れん。

絶対いませんよね。
これだけの普及率を考えれば、高校生までの子供の1番の夢が高校生カップルであるのは疑いえません。
期間限定のビックドリームを叶えた。
この経験は大きいです。
逆に叶えられなかった場合。
二度と叶わないことを考えると、相当な挫折を多くの高校生が経験してきたと言えます。
ある種のアイデンティティ喪失です。
高校生の頃のアイデンティティ喪失は、成人時の自己肯定感形成に大きく関わってきます。
そしてそれは、中学時代の部活経験やそれを可能とする天性の運動センスが原因。
故に童貞の問題である自己肯定感の低さは、本人だけの責任では無いと言い切れます。
まとめと新たな疑問
20代後半男性のセックス未経験率は31%。
国立社会保障・人口問題研究所のデータだ。
(該当の基準は第2部第2章にあります。)
たしかに成人まで童貞であることには、運動センスが関わるが、それ以降の10年で40%も下がることがわかる。
当たり前だが童貞問題は10代の過ごし方だけの問題では無いのだ。
数字的にも大きく変わっているわけなので、20代前半の過ごし方はもっと重要であることは推測にたやすいだろう。
ということで、次回は童貞の自己肯定感問題と20代前半について考察していきたいと思います。
高校時代彼女ができる人間の多くが陽キャラ。
高校時代の恋愛は高校生以下にとって非常に高価値。
結果として、彼女ができなかった経験は大きな挫折になり、自己肯定感形成に関わる。
しかしその原因である、運動センスは本人の問題ではない。
とはいえ、20代前半の過ごし方にもっと秘密があるのではないかとデータは言っている。
いかがでしたでしょうか。