すべての非モテHackをする! 非モテハッカー1号のりょうた塾長だ。
非モテハックに来てくれてありがとうございます。
非モテハックは、非モテのLife Hack、非モテの生態研究、非モテHOT!を通じて、密林のごとく混沌とした恋愛問題を寄りわけてラベリングすることににより非モテ文化の開拓をしていこうという組織です。
ですが、いまいちまだ非モテ文化の開拓ということにはピンときづらいのも事実だと思います。
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おそらくはこのブログはモテ塾なのか、モテ塾とは違うの?、そもそもモテ塾をやればよくないか?このような疑問もわいてくるのかと思います。
今回は非モテハックとモテ塾やモテ論との違いを中心にお話していこうかと思います。
モテ論、モテ塾のもたらす効果
モテ論を広めるサイトやモテ塾の目的は、
非モテをモテサイドに変身させることです。
これは、モテな過ぎてさまざまなモテ論を試すために探し求めてきた私の結論です。
不細工でもヤリチンになれる最強口説きテクニック。
一般的に恋愛では不利とされる外見だとしても、紹介するあるテクニックを使えばモテる、このような内面ならモテる。
大体モテ論を最大公約数化するとこのような内容になります。
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このようなモテ論を読むと大概の非モテはこう思うのではないでしょうか。
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今日から内面を磨いて、テクニックを覚えるぞ!
そう。
このようにモテ論には非モテといわれる人にとっては、外見にかかわらずモテる可能性があると希望を抱く効果があります。
実際このような記事を読むことによって、自分の今まで至らなかったところを反省し行動させる効果があります。
そしてこの効果は化粧品や整髪料等への需要へとつながります。
以上のようにモテ論は経済にも大きな影響を与える重要な仕事を行っています。
モテ論、モテ塾の裏側
上記のようにモテ論にはこれを読む非モテに希望を与える効果があります。
しかしこの希望には裏があります。
これらのモテ論はコミカルな絵柄などで、モテる行動がとれない人を非モテとして笑いものにすることで、希望ややる気をもたらしているという側面があります。
しかし非モテに希望を与える裏で非モテを嘲笑している側面も存在します。
非モテの皆様。
どう思うでしょうか?
モテ論やモテ塾はある意味非モテを馬鹿にすることで成り立っていると断言できます。
さらに話を突き詰めていきます。
いわゆるモテ論ではテクニックのほかにも、
“気配りできるとモテる”、“頼りになる男がモテる”、“大人な人がモテる”、“あどけない人がモテる”
といった内面的魅力にフォーカスしたモテ論が紹介されることもあります。
これもテクニック論と同じように、
「不細工でも優しさがキー」、「デブでも頼りになる男に惹かれる」といったように、今まで恋愛で割を喰っていたような人たちでも希望が持てるように書かれています。
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なさけないところはなかったか?
ケチなところはなかったか?
強がっているようなところはなかったか?
このように今までの行動に該当する点を見つけて反省する効果があります。
ですが、これも落とし穴があります。
モテなかった理由を性格や内面にフォーカスしてしまうという面です。
内面でモテるという希望を追うがばかり、失敗の原因を自身の内面にフォーカスしてしまうがことで起こる悲劇。
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自分の人格を否定してしまうということです。
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反省点がどんどん増えていってしまうことは、自分の内面に悪い点が山積みになっていくことです。
自分の内面に問題が山積みになっていくということは、自分の内面が予想以上に悪いと思い込んでしまうことにつながってしまいます。
モテ論モテ塾の限界
古来より毒と薬は紙一重といわれてきました。
モテ論という薬は一定の効果は認められますが、人によってはアレルギーを起こしたり、用法容量を間違えると拒絶症状を引き起こしたりする劇薬ともいえるでしょう。
いうならばモテ論者モテ塾は蛇です。
恋愛の密林を歩く皆様に麻薬成分を含む毒を処方してくれる蛇です。
余談ですが、アダムとイブに知恵の実を食べるようにそそのかしたのも蛇です。
モテ論者という蛇は非モテの密林を歩む皆様を時に気持ち良くさせ、正しい道を教えてくれます。
これは時にモテというきれいな道路へと案内してくれる蛇にもなるやもしれません。
ですが、場合によっては自己人格否定という致死性の猛毒となるかもしれません。
大げさな書き方でしょうか?
大げさではありません。
自己否定の終着点はなんでしょうか?
それは無差別な破壊です。
こちらにあるような痛ましい事件も、モテ論などで培われたモテるための定説に沿って自身を否定した最悪なケースです。
仮に非モテのままモテる、つまり非モテるために彼らが邁進することができれば容易に回避できたケースといえます。
この手のインセル系の記事の多くは、非モテへの悩みを増大化させた挙句凶行を引き起こしたという論調です。
さらに言えば、ここに出てくる非モテは自身の非モテを治すことなく他者に責任を押し付けた最低のやからという論調ともいえます。
つまり、非モテ=悪。
このように読めるわけです。
非モテハックでも、これは悪であると断定します。
この一部の人間の悪さを非モテ全体の怠惰さ不勉強さと決めつけるやり方は、上記のモテ論の蛇のやることと似ています。
自己中心的な行動は非モテ。
なさけない人は非モテ。
ケチな人は非モテ。
強がっている人は非モテ。
このようなさまざまな事象に対し、すべてといえない非モテという結果について非モテと断定する。
そしてテクニック論についてはできないものを笑いものにするやり方。
私には、将来アメリカと似たような事件が起きないか心配です。
非モテハックはこう違う
不細工でも~をすれば100人とやれる。
このようなテクニックは扱いません。
そもそも、自分のアイデンティティを経験人数でしか語れないようなひとはカッコ悪いとすら思えます。
あくまで非モテハックでは、非モテを残しつつ大切な人と親密な関係になること。
つまり、非モテることを目的としています。
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結構じゃないですか。
内向的ということは、話す前に今から話す内容が相手を不快にするか否かで悩む結果口数が減ってしまう側面があります。
人を傷つけないというのは素晴らしいことです。
これを、従来のモテ論者の蛇たちは
「トークが上手い奴になれば不細工でもやれる!
だから、内向的な自分からは卒業しよう!」
という遅行性の毒を注入してきます。
これで一人でも関係が持てたりするようならば、気付いたら人を傷つけるつまらない人間ができるか、
結果モテなければ人格を否定されてその恨みを何かに向けようとする危険な人間が完成します。
もちろん内向的でモテないと悩む人をそのままにしても何も解決しません。
ですが、非モテハックを通じて内向的でモテないということをちゃんと分析していけばいいだけの話なんです。
恋愛の密林に悩む中でモテ論というのは有料道路です。生えてる木は街路樹のみ。
たとえば外交的といった資格を料金とした有料道路。
行先も明確ですが、走れるのは自動操縦の乗用車のみ。
大量生産のつまらない道です。
非モテの分析というのは、親密林の中を進むことです。
内向的というさまざまな動植物があなたの邪魔をしているでしょう。
そこから本当に要らないもの。ここでは【まったくしゃべらない】としましょう。
これを切り払いながらできた道が非モテの道です。
この個性的な道を進んだ先の理想が非モテる状態といえます。
まとめ
→容姿的不利でもテクニックや内面次第でモテると希望を与える。
モテ論の限界
→非モテを嘲笑する姿勢。非モテに自己人格否定をさせる側面。
非モテハックの違い
→非モテを否定せず、非モテを残しつつ大切な人と幸せになること、つまり非モテることを目的としている。
いかがでしたでしょうか?