非モテHack辞典
①親密なパートナーがいない、もしくは、誰かと親密な関係を築いた経験のない人
②親密な関係を築く上で、「理想」とされるモノを持っていない人
③親密な関係を築く上で、何かしらの難を抱えている人
非モテとは?
「非モテ」という言葉が「異性にモテない人」という意味にとどまっていないことは、もはや自明であろう。
はてなキーワードでは、「非モテ」の対義語は「モテ」ではなく、自意識の問題であることを示している。
そして、日本語シソーラス連想類語辞典で検索すると、「ダサい」「キモイ」「ショボい」「ダメ人間」など、劣った人間像を指す言葉が連想語として提示される。
それにしても、いつからモテない人間はダサくて、キモくて、ショボい、ダメ人間のクズになったのであろうか?
いったい何が、モテない民の自意識を脅かしているのだろうか?
モテるの語源
「非モテ」という言葉を紐解くために「モテる」の語源を参照する価値はあるだろう。
美しい日本の恋~やまとなでしこ恋愛考~によると、「モテる」は「持てる」から来ており、江戸時代の男たちが花魁に「持てよう(好位を持たれよう)」と必死になっていた様子が由来であると紹介している。
広辞苑を引いてみると
①持つことができる。持ち得る。
②保たれる。支えられる。「間まが―・てない」
③もてはやされる。ちやほやされる。人気がある。
と表記されており、確かに「モテる」が「持てる」という言葉に由来し、「男性が花魁に持てよう」という意味を超えて「異性にモテる」と使用されるようになったことが窺える。
では、「持てる」に由来する「モテる」が、モテない人を総称する「非モテ」となると、ネガティブな自意識を内包してしまう背景には何が考えられるだろうか。
「持てる」から自意識へ
桶川(2008)は、パートナーとして「選択されない」機会は「なぜ自分は受け入れられなかったのか」という再帰的自己自覚性を高めていくということを指摘している。
そして、再帰的自己自覚的資源として雑誌記事の分析をし、雑誌記事のアドバイスに「内面言説」と「テクニック提供言説」の存在を明らかにしている。
さらに、そうしたアドバイスは、限界があるにもかかわらず「誰でも努力さえすれば異性に『モテる』ことができる」ことを強調し、「モテない」人間を「内面的・人間的魅力」に欠陥がある存在として提示している側面があることを指摘している。
確かに、上述のはてなキーワードでも、「非モテ」が個人サイトから2ちゃんねるといった変遷を辿っていることに触れており、それらで語られる「非モテ」は、自由恋愛において「選択されなかった人々」が、自らの「内面的・人間的魅力」の欠如を自嘲する意味合いで使用されることがしばしばである。
まとめ
以上、「持てる」に由来する「モテる」が、「非モテ」となると「内面的・人間的魅力」の欠如を自嘲するような自意識を含むようになる経緯を見てきた。
そして、そうした自意識は、自由恋愛・恋愛至上主義の色が強い現代社会において「理想(虚構に近いのかもしれない)」とされる魅力を「持っているかどうか」によって左右されることが考えられる。
よって非モテHackでは、
非モテHack辞典
①親密なパートナーがいない、もしくは、誰かと親密な関係を築いた経験のない人
②親密な関係を築く上で、「理想」とされるモノを持っていない人
③親密な関係を築く上で、何かしらの難を抱えている人
を非モテの定義とする。
3つ目の定義である「何かしらの難」というのは、パートナーの有無に限らないものとして想定している。
というのは、彼氏・彼女がいるにもかかわらず、親密な相手にこそ「本音を言えない」あるいは「信用できない」など、非モテもびっくりな贅沢な問題を抱えている人々が数多く見受けられるからだ。
しかし、「恋愛において『理想』とされるモノ」がそうした贅沢な問題を引き起こす要因となっていることが推測され、本質的には非モテの受難と何ら変わらないことが考えられる。
上記の3つを定義として設定し、生態研究を進め、定義は適宜追加・修正していく。
【引用】
桶川泰 「親密性をめぐる「新たな不安」:雑誌記事における「モテる」「モテない」格差の説明原理」ソシオロジ 52(3), 155-171, 2008 社会学研究会