非モテの生態解明

非モテが行き過ぎると自分も人も機械のように見えてしまう問題

私りょうた塾長は実は非モテである。
一口で非モテといっても様々なパターンがあるだろう。

私りょうた塾長は非モテである。
皆さんが想像しうる最も非モテな非モテである。

そう。つまり今までいた彼女の数は

非モテが恋愛に臨むための倍率は0.016%

僕はもう長いこととあるマッチングアプリを利用している。
アプリでの出会いは様々な出会いかたを実践した僕から言わせれば最も効率的だ。

いいねを送り返信があるのが20人に1人
そこからまともにメールが続き、食事に誘えるのが10人に1人
2回目の食事に誘えるのが3人に1人

つまり600人にいいねをすれば1人は付き合う望みをもてるのだ。

最も可能性が高い出会いかた。

何も言わないでほしい。

恋愛に至るまでに超えないといけない倍率が0.016%。
宝塚歌劇団ですら0.02%なのに。
そしてそこから上にはさらに高難度な壁が待っている。

まるで厳冬期のアルプス山脈を崖のぼりしている気分だ。

そして僕はこの恋愛の絶壁から何度も滑落している。

自分への誇りは通年操業状態で削り取られていく

恋愛の絶壁は本当のクライミングと違い滑落しても命には別状はない。
しかし、当然のように失われるものもある。

自分への誇りは削りに削られもはや埃にまみれている。

自分への誇りを削られる経験は誰しも多かれ少なかれあるだろう。
マッチングアプリなどを使い多くの人にアプローチをしているとそれが毎日なのだ

日々相手にされない自分と、誰ともわからないカップルたち=いわゆるリア獣と呼ばれるものたち。

彼と自分はどう違うのだろうか?

こんな問いかけを毎日。
自分にはどこか欠陥があるのではと疑ってしまう。

やはり僕でも毎日自分への誇りを削られるのは嫌なんだ。

そんな自分を守るため。
恋愛へのモチベーションは下げるしかないだろう。

アプリの中の人はカード

そう思っていれば一向に返ってこない返事にも耐えられる。

恋愛のモチベーションが下がるということ

そんなある日。
僕の携帯電話に新着情報が。

○○さんとマッチングしました。

今更何とも思わない。
いまだこの人はカードの中の人だから。

趣味の写真が共通点みたいだ。
でもどうせ返信は来ない。来ても一言「はい」とくるだけだろう。

こうなってくるとこちらも返事を書くのが億劫になってくる。
どうせ返ってこないメールなんだから、これが最後としっかり返信しておく。

返ってきたのは金曜日の夜。
土日にブログを書きたい僕はこのメールの返信が億劫だ。
平気で何千文字の文章を作る僕だが、数10字ほどのメールが億劫だ。

僕は5日ほどして返事を書いた。
自分からメールを終わらせるのがいやだから。
これが最後のメールだからと丁寧に返信した。

予想に反してメールは続いてしまった。
相手はおそらく僕と会うこと自体には抵抗はないのだろうと思った。

そうなってくるとだらだらメールを続けるのは相手にとって時間の無駄だろうと思って食事に誘ってみた。

案の定僕の誘いはOKだった。
ことさら気分が重くなった。

地面で転ぶより高所から滑落するほうが痛い。

この現象。
どう考えてもおかしい。

非モテに悩んでいて彼女がほしい31歳が、何人にもいいねをだして、何人にもメールを無視されて。
やっとのことで取り付けた約束を目の前にして気分を重くしているわけなのだから。
しかも相手は自分と同じカメラが趣味の女性である。

まっとうに考えれば挫折の後の幸せはうれしいはずだ。
だが今回はそうはならない。

もう一つの考えがある。
叶うと思っていた夢が叶わなかった時のショックはより大きなものになるということ。

せっかく仲良くなった。
でも自分が至らないせいでまた元の他人に戻ってしまった。

もとより自分の誇りをこれ以上削らないように相手をカードとして認識していた僕。

実際に会ってしまうと、もうカードとは思えない。
でもカードから人になってしまうともう戻れない。

カードリーダーのような恋愛

思えばアプリを使うときは機械的に作業してきた。
いや、むしろすぐに去っていくような人と会うときは機械に徹してきたのかもしれない。

なぜなら、人が去っていくのはつらいからだ。

気づいた時には僕はロボットになってしまったようだ。

女性を目の前にしたときに。

ロボットのようになった僕の心。
この話には続きがあります。

以上

  • この記事を書いた人

りょうた”元”塾長

「元」非モテの塾長。30年を超える非モテ人生の果てに現在の彼女と出会い、当たり前な幸福を手に入れる。自身の非モテ人生によって培われた感性で恋愛について雑多に語る文筆家。

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