最初のステップ。
それは、
些細な何かをしてもらった時の「ありがとう」。
ほんの小さな人の暖かさ。
「ありがとう」は些細な人の暖かさに目が向くきっかけでした。
この冷たい宇宙の中には星の数ほど小さな暖かさが存在しています。
多くの人はこれを無視して通り過ぎています。
りょうたの心にも確かに暖かさが灯り始めました。
でもある日気づきました。
嫌な思いをしたのを無理やり我慢して感謝するなんてできないことに。
悲しい気分になってしまいました。
ある夏の日。
彼が何となく足を運んだのは…。
ステップ2
~いのちに「ありがとう」~
じじじ。じじじ。
乾いた歌声が響く。
ざわり。ざわり。
江風【かわかぜ】がそこいらの犬麦やエノコログサ(猫じゃらし)を通り抜ける。
むわぁっ。むわぁっ。
立ち昇るのはお天道様に温めてられた土の匂い。
ここは夏の川辺。
穏やかな灼熱が踊る日。
そこにあった切り株の上に彼は座っていた。
うるさく鳴き叫ぶのは油蝉。
混じり聴こえるのはみんみん蝉の陽気な声。
その合間。遠慮げに鳴くのはつくつく法師。
目線を下げてみる。
生い茂るカヤツリグサの元には、最期の合唱を終えた蝉の姿が。
静かに咲いてた野菊の首元には、小さな鎌とストローのような口の蝉の幼虫だった姿が。
盛んに燃えるいのちの炎と、その終わりと始まり。
その小さくもおおきな輪っかを見た彼は、
とたんに体の中の赤に気づいた。
「ありがとう」
その時全てがいとおしくなった。
近くにあったのは杉の大樹。
手を触れてみる。
数百年の杉の脈動が。
数百匹の虫の胎動が。
どどお。
彼の掌を伝わる。
「ありがとう」
もっと、もっと。
もっと感じてみたい。
背中を芝と草の布団へ預ける。
じっ、どろん、ぬお。
すい上がってくる。確かな温かみ。
服の汚れも気にならない心地よさがここにある。
「ありがとう」
私たちの周りには沢山のいのちが息吹いています。
「セミ」だけではありません。
たくさんの「アブラゼミ」。
それに混じる「ミンミンゼミ」。
少数派の遠慮げに鳴く「ツクツクボウシ」。
「雑草」だけではありません。
「エノコログサ」や「タンポポ」や「イヌムギ」。
知っても知っても追いつかないくらいのいのちが存在し、死んでまた生まれて。
ただの「夏の草っ原」にも無数のいのちの暖かさがあります。
私はこの暖かさに感謝しました。
自然って基本無害で無益ですよね?
だから限りなくフラットな視線で捉えることができるのです。
人の暖かさはそこに必ずある恒星みたいなものでした。
ですが、
自然の暖かさはそこに光を向けないと輝かない月のようなものです。
ちゃんと目を向けてあげないと気づけない暖かさ。
その星【いのち】たちの輝きは一つ一つ全く違います。
またひとつ新たな暖かみを知った。
なんでもないことにでも感謝できるようになるとなんだか気分が良い。
「ありがとう」がクセになってくる。
そういえば聞いたことがある。
「ありがとう」を続けていると幸せを引き寄せるということ。