モテないみんなの願い星★
りょうた塾長でございます。
おれのモテ塾では、皆さまの願いが込められたお問い合わせを随時募集しています。
こちらでは、
モテないみんなの願い星である私がいただいたお問い合わせ、願い事などに対し私なりにお力になろうというコーナーでございます。
いじめといじりの違いとは何を指すと思いますか?
若い方、特に学生の方にとっては冥府よりも深い暗さをもつ問題です。
この真のダークネスについて今回は考えていこうと思います。
「これはいじめ?」いじりがツライあなたへ。
私は中高一貫校の高等部から入学しました。
中等部の子たちはすでにお友だち。
入学当初、私は友だち欲しさに、心にもない道化を演じていました。
これが失敗。
私はイジられキャラとして定着しました。
性格上、面白くないと思っていることでも、大抵のことは面白そうに演じていられると思います。
でも、どう考えても面白くないいじりへの苦情、やりたくない演技に対しての嫌悪をあらわにすると、権力のある女子にいじめられます。
ありえない、キャラなのに、私たちのこと嫌いになったんだぁ〜、ウザイ。思い出したくもない言葉の数々。
一時期、チョークの粉を食事にかけられたり、消しゴムのカスを髪の毛に絡ませられたりしました。
いじりといじめは違う。
いじめられる子には心のゆとりがない。頑固。
自分勝手で他人が嫌い。相手との心の距離を測る物差しを持っていない。そう思っていました。
それは大きな間違いだと気づきました。
特に、相手との心の距離を測る物差しを持っていないのはいじめる側です。
いじりといじめのけじめをつけるのはいじる側です。けじめがつけられないからいじめになる。
だからいじりといじめは一緒なのです。
大人になればずっとサラリーマンを演じるんだ、ということも分かっています。
でも、いじめられないために演じる今が耐えられません。
塾長はいかがお考えでしょうか。
16歳 高校生 女 パンチドランカー徹
パンチドランカーさま。ありがとうございます。
とてもツライ経験です。
いじめがツライのはいじめとの境界線の曖昧さにあります。
いじりはあなたへの善意を発端としています。
いじる側はみんなが楽しい空間をつくるべく有効なキャラを演じさせるにための方法を考えた結果の判断ですので。
しかしこれがあなたさまにとってヒドイ言葉が使われる。
いじる側の善意を無意識に感じてしまうために、ヒドイ言葉たちがあなたをツラくさせてしまう。
これが悪意だけのヒドイ言葉たちならば無視をすれば良いだけだけど、この善意ある悪意があるためにあなたがツライ思いをする。
いじめをツライと思うのは、相手に対する感謝がある優しいあなたさまだからこその問題といえます。
ツライ中、心のこもった名文を書いていただいたパンチドランカーさま。
そんなあなたに感謝です。
いじめから距離を取れない理由とは?
嫌な思いをしたくない時は距離をとることが1番効果的です。
ですが、少なからずあるいじめをする人たちへの善意を感じるあなたのココロが邪魔をしている。
だから距離を取れない。
このような時に有効な考え方は下記の通りです。
ありがとうさようなら。
実は「ありがとう」の応用でこのような考え方ができるようになります。
その部分に関してはありがとう。
でもわたしを傷つけるあなただけとはお別れします。
いじられることで自分が引き立つ時だけは感謝して引き続き引き立たせてもらいましょう。
でもあなたが不快になるような時だけはココロをクローズしてしまいましょう。
このように感謝の使い分けをすることで、少なからず感謝している自分のココロを守りつつ、いじめをする人から距離を取ることができます。
自然といじめは遠ざかっていってしまいます。
どうしても嫌な部分がある人というのは、大人になりサラリーマンを演じるようになってもよくあります。
でも、自分にとって嬉しい事をしてくれる時もある。
大人になっても永遠に続く輪廻の道です。
人の嫌な部分は無視。
いいとこだけ目を向けてあげれば自然と優しいあなたの周りには優しい人が集まります。
学生というのはある種の檻の中なのかもしれません。
付き合う人が強制されてしまうからです。
ですが大人は自由です。
いじめで嫌な思いをするあなたはいじめる人と距離をとっても問題ありませんし、いじめる側も自然とあなたから自然にはなれていきます。
檻に囚われた今はたしかにツライかと思います。
ですが、ありがとうの使い分けで少しでもあなたの学園生活がラクになればと願っております。
いかがでしたでしょうか?