非モテの生態解明

出会いってなんだ?

こんにちは。
非モテハッカーのりょうたです。

先日、とある哲学サロンにて出会いについて話し合いをしてきました!

こと恋愛をするにあたり、出会いというものは重要なファクターを占めます。
みなさんも彼氏彼女をつくるために出会いアプリや街コンに繰り出したという経験は一つくらいはあるのではないでしょうか。

非モテハックは親密な関係について考える場所です。
今回はこんな出会いについて考えていきたいとおもいます。

出会いとは、後から振り返るもの

これは哲学サロンに参加して最もはっとした言葉でした。

私も非モテを31年以上やっているだけありまして、様々なタイプの出会いの場に参加してきました。
マッチングアプリなんかは有名どころはほとんど押さえていますし、月2回以上の街コンに参加していた時期もありました。

これを読んでくださってる諸兄はこう思うでしょう。

「なんて積極的で精力的なんだ!」と

自分でも思いますが、よくこんなモチベーションが続くと思います。
ですが、そんな理由なんて一つです。

彼女が欲しいから!

私を含め誰もがそうですが、出会いの場に行くのは彼氏彼女が欲しいからなんです。

結婚適齢期に差し掛かり彼氏がいなければ彼氏候補を探しに出会いの場に行く。
これはごく当然の考えだと思う。

この出会いが友愛だったか、性愛だったかなんかは出会う瞬間になんてわからない。それがわかるのって後から振り返った時。

私は非モテに関するブログを書いているので、その経験を踏まえつつ自身の思うところを伝えましたが、とある参加者さんの一言にはっとしました。

そうだ!自分は性愛を前提に出会いの場にいっているんだ!

出会いの場で女性と話したらまず何を考えるだろうか?

脈があったらデートに誘いたいな!

そう。
恋愛にはという言葉がある。
脈というのは恋愛に発展する可能性ありという意味だ。

逆に脈なしは恋愛に発展する見込みなしだ。
脈がなければ、相手から一線を引かれ2度と声をかけることは叶わなくなる。

私は長年非モテをやっているのでわかるが、脈のない女性の態度というものはその出会いの時間をフルに使ったとしても永劫かわることはない。

つまり、会った瞬間恋愛に至る可能性ありか一切なしを判断されているのだ。

良い出会いとは?

恋愛前提の出会いを長年やっているとなかなか気づかないものだが、哲学サロンというもっと本質的なものを考える場に行ってみるとものすごく不自然に思える。

たしかに今までの人生の出会いを振り返ると、出会ってすぐに今の関係を想定できた人っていないと思う。
大抵の人は何でもない人だったり、むしろ嫌な印象だった。
口厳しくて嫌いだったやつが、高校生活1番の親友だったり。
気難しくて何も教えてくれない上司が、自分の性質に実は合っていて人生史上最大の救世主になったり。
SNSで面倒なメールを送ってきたと思った人が実際何回かあってみると、ちゃんと問題意識のある理解者だったり。

出会う形は様々あり、その時は悪い印象だったけど実際時間をかけて付き合っていくととても面白い人だったと振り返ることは沢山あった。

みなさんもこんな経験はあるだろう。
むしろ自身の友人や同僚を振り返ればこのような出会いと関係性を持った人が大半なのではないか?

出会いというものは結果としていい出会いだったということだ。

変な出会い?

この通り人生における出会いを考えてみると、会ってすぐ関係性がわかる出会いなんて皆無だった。
だが、恋愛における出会いはそうではない。

これってよくよく考えると変じゃないか?
恋愛における出会いは、出会った瞬間に決まるといっても過言ではない。
この人なら一緒にいてラクそう。
この人なら私を大切にしてくれそう。
この娘とならヤレそう。

私を含め出会いの場に繰り出す男女はこのような基準の元、出会った相手に対し一瞬にして一線を引く。

出会いの瞬間で見れることってごくごく限られた一面である。
その人の1%も見ることはできない。

1%も見れない状況で相手に一線を引いてしまうのが今の出会いの現状だが、これは異常な状態なのではないだろうか?

まとめ

出会いとは?後で結果を振り返ってわかるものである。
にもかかわらず、一瞬で線を引く今の出会いって少し変なのではないか?

次回はこの出会いの変なところの背景や及ぼす問題について考えていこうと思います。

いかがでしたでしょうか。

  • この記事を書いた人

りょうた”元”塾長

「元」非モテの塾長。30年を超える非モテ人生の果てに現在の彼女と出会い、当たり前な幸福を手に入れる。自身の非モテ人生によって培われた感性で恋愛について雑多に語る文筆家。

-非モテの生態解明