りょうた塾長とは

新年なので今までを振り返り、これからやることを考える。

今から2年前、確かに俺は「モテた」かった

些細な些細な出来事だった。
俺は空気が読めなかった。

思いを伝えよ

という無言の至言があったにも関わらず、
俺がとったことは世間話。

深夜のカラオケ屋に強引に呼び出させ、俺と意中の人が二人きりになった5分にとったこと。

今思えば本当に正しいことではなかったにせよ、俺は空気を読まなかった。

この空気を読まない行動を友人は「非モテ」と断罪した。

昔から極端な性格の俺は、

じゃあモテるようになるしかない。

と辛かっただろう心を切り替え、只管モテるための方策を考えるようになった。

テクニック本も読みあさり、さまざまな友人から「モテるため」のアドバイスをもらった。
モテるために「心を変えないと」と思い、四六時中「自分はモテる」と言い聞かせた。

その結果モテなかったとはいえ、「非常に面白かった」と友人は言った。

その背景と面白さを何かにつなげられないか?

30にもなって「モテる」とほざくちょっとした気恥ずかしさを、自分以外の非モテの救済というお題目で目をつぶりながら俺のモテ塾は始まった。

自己分析という抗生物質

古来より薬というものは毒にもなりうるといわれている。

俺はブログのため己のため、
自己分析を本格的にやった。

基本的に問題にぶつかるたびにノートに書き出し、頭の中を整理する。
整理された問題は少し簡単に見えるから、もう取り組める。

正確に言うと単純化された問題からは逃げることはできないのだ。

一度これがくせになると、ノート無しでもある程度ノートが描かれるのだ。自身の頭の中に。

特に去年は「モテたい」がために四六時中自分にモテると言い聞かせたアファメーションもやっていたので、
心のノートが映し出す残酷な現実にも真正面から立ち向かうことができた。

そう、実は自己分析は残酷な作業なのだ。
問題が整理されていない状態というのは、一見問題が山積みだが、問題自体が可視化されていないため、一種の安定状態にあるのだ。
自己分析は問題を整理する=可視化されるともいえる。

問題が可視化されるということは立ち向かわないといけないといえる。

だから自己分析には痛みが伴うのだ。

俺の場合はもともと人より痛みに強いうえ、アファメーションのブーストがあったためこの痛みを簡単に克服してしまったのだ。

ブーストがあれども一度超えた痛みは気にならなくなり、自己分析はどんどん深まるのだ。

今僕はモテたいのか?いや、そうではないと断言できる。

自己分析がはじき出した結論。
人間の持つステータスふりの問題である。

僕の場合、直観、描写、継続力、極端さといったステータスに昔から全ふりして育ってきたため、
感情や感覚に関わるステータスがほとんど0になっているのだ。

感情に関わるステータスがほとんど0であるために、僕自身の問題については苦しさをそばにおいておきながら対応できる。
だからこそ、絶望的な非モテ感のなかで自分の非モテを俯瞰的にとらえ、文章にすることが可能だ。
しかし、自分の感情すら平気でそばに捨て置ける人間である僕は、他人の瞬間的な感情をすぐに理解するのは不可能なのだ。
あくまで理屈で理論つけての理解だ。

結論としては、僕自身は恋愛に向いていないということだ。圧倒的に恋愛に関わるステータスがないから。
特に、今現状の出会いは感情的なコミュニケーション力=エモニケーション力が必須であり、
出会いのやり方自体を考えていかないと難しいと思っている。
だからこそ、ブログに力をいれ新しい恋愛文化を作ることがもっとも合理的なやり方なんだ。

言い方を変えてしまうと、すぐに彼女をつくることが難しいので、根本的なやり方を考えるという周り道、つまり苦行の道を平気で選んでいるということなんだ。

そのための手段がブログであり、だから僕は恋愛の感情をひとまず置いておいて、文章に取り組んでいる。

きっとふつうは、そのために恋愛の感情を捨て置くという発想はないだろうね。
なぜなら本能的な感情だから。

だけど、そんな人間もどきが恋愛コンテンツを考えるっておかしくない?

よく思うのが、最近の私は面白くないと。
たしかにほかの人が書かないような文章を書けるようになったとはいえ、数年前の勢いが失われてしまっているために、
「必死で苦しさを押し隠したような面白さ」がないのだ。

では、昔のようにぶっ倒れるまで「俺はモテる」と聞き続けるべきなのか?

もちろん答えはノーだ。

アファメーションでのブーストは界王拳のようなもの。
実は借り物の鎧をまとっているようなものなのだ。

理想の形としては、超サイヤ人を日常レベルに落とし込んだ超サイヤ人1-4(セル戦前の悟空と悟飯)や、過去の自分を落とし込み、神様と融合したピッコロ(神コロ様)だ。

自分の中のモテたいという気持ちがブーストしている状態(アファメーション状態)を今の文章を考えるテンションで落とし込む状態だ。

そのためには、感情の流れにあえて飛び込み身を任せるような状態をつくり、またモテたいという気持ちを融合させていく必要がある。

これからやること

最近、鼻毛が伸びてきた......。

ひとまず何でもいいので出会いの場に出てみようと思う。
おそらくそれに尽きる。

ついぞ女性と会うことを半年ほどやっていないので、鼻毛がボーボーなんです。
昔は定期的に使っていた鼻毛カッターと前歯のシミ用消しゴムの行方がしれません。

以前は少しでもモテるため何かをしに行こうというスタンスで臨んでいましたが、
今回は忘れてしまった何かを拾いに行こうと思います。

そしてもう一つがこれ。

名付けてありがとう写経
どうして、耳で聞くだけのアファメーションが界王拳で終わるのか?
それは、体にしみわたっていないからです。

以前の反省を踏まえ今度は定期的に手で書くことで、あしゆの習得を目指していきます。

狂ってる?
狂っているくらいがちょうどいいんです。
合理的に狂わないと私の目指すところにはいけないので。

以上。

  • この記事を書いた人

りょうた”元”塾長

「元」非モテの塾長。30年を超える非モテ人生の果てに現在の彼女と出会い、当たり前な幸福を手に入れる。自身の非モテ人生によって培われた感性で恋愛について雑多に語る文筆家。

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