非モテの苦しみの一つとして失うことだと思う。
前回マッチングアプリにてやっとのことで食事に誘えた女性。
しかも趣味は自分と同じカメラ。
なのに僕の心は鉄骨のよう。
実はこの話続きがあります。
恋愛の生きづらさを発する者として
僕はすっかり冷え切った心を引きずりながら家路についた。
確かによくよく考えるとおかしい話だ。
やっとのことで女性を食事に誘えたというのに、どうしてこんなに重い気分なんだろうか。
当たり前のように訪れるのが自己嫌悪。
どうせ失敗するのだから感情は機械のように殺しておいたほうが良い。
たしかに、これだけ厳しい親密林を生きているのだからこのような暗澹とした感情にさいなまれるのは変なことではない。
だけど、これは恋愛の生きづらさを発信する人間としては許されないことだと思う。
だからこそ急ピッチで自分の心をなぞってみた。
どうしてここまで苦しいのだろうと。
振り返るとその道には僕の血が
最近ご無沙汰な恋愛絡みの出来事を振り返ってみる。
10月ごろにアプリでやり取りしていた女性。
スポーツの話なんかで盛り上がり、僕のことを真面目そうな人間だと思ってくれてたようだ。
しかし、ラインを交換してから全てが終わった。
「冷やかしだったんですね」
僕のアイコンにはこのブログのURLが貼ってある。
「このサイトはなんですか?」
「そういうことをする人なんですね?」
やってしまった。
確かに紹介文にはブログのことを書いてないな。
悔しくて悲しい気分だった。
たった一つのミスで恋愛は終わるのだ。
6月ごろの女性。
食事の予定までは取り付けたが直前でキャンセル。
後日退会していたのでそういうことだと分かった。
こういうことがあるから希望は持たないほうがいいのだ。
さかのぼる。
友人に物理的な苦労を生じさせてしまったこともあった。
いつまでも宙ぶらりんな心持のまま、気持ちを伝えることもできず。
ある日ありえないシチュエーションで告白したこともあった。
もちろん自分ひとりの責任ではなかったが、自分の感情一つで友人を振り回してしまう自分が嫌だった。
一人での限界をいともたやすく打ち破るのがもう一人の声
堂々巡りを繰り返した。
そんな時スマホの新着を見てみた。
そこには何時間も前に受信した昨日の女性からのラインが。
恐る恐る見てみる。
『今度は一緒に写真撮りに出かけよう』
救われるとはこんなことなのだろう。
たった一つの希望が僕を救ってくれたのかもしれない。
昨日の女性には申し訳なかった。
なぜなら無気力な気分で臨んでしまったから。
希望は免罪符。
申し訳ないという気分は小さくなった。
これからやることは一つ。
まずは目の前の女性と向き合ってみる。
それだけ。
以上